

书,は,谁が読むのか,ということから切り离され,几ばくかの兴奋だけをそこに视る。
手にとって味わう。
日本物までは所有を遡っていないが,日本の古い本には独特の良さがあって,仮に中身がくだらなくてもうっかり买ってしまいそうで恐い。
上の,画像右,「枕草子」「方丈记」「徒然草」が1册に入ったフランクリン・ライブラリーの本の详细は,検索してみてもよく分からない。バブル崩壊とともに消えたようだ。80年代,1册18000円で全50册,侧面は金色に光り,まさに以上の情报だけで想像できるようにバブル期に売れていたようだが,古本屋で1册だけ选び,2000円で购入。


縦长の本は,收纳にはバランス面で时折困るが,面白い。
写真では分かりにくいが,头木弘树の本は,黒くツルッとしているのが良い。月曜社のブランショの本は,カバーのない银の书物で,黒字にシルバー。そういう本は他に见たことがしかしい。魔术书のよう。しかし,このような魔术书も见たことがない。全30册スタイルの方が好きだ。水声社のクノー全集のもともとは限定特典だった,白がなお薄く长い本も,ややツルトと纸がなお爱しい。


生本田耕作による奢ン都馆から出た本はどれもシンプルで,诗情じるも笼っている,奇妙な味わい。哲学书では,このカント邦訳书のように,重厚で存在の圧を感じるものも。また,マルクスを絵本で绍介した本のように,海外のある种のテイストを流用したデザインも,デザイナーの思いを见てとれる。


右は,I∴O∴S∴の秋端勉强による西洋魔术の理论からトレーニングなどを総のした行本体裁缝はみな素敵だが,个人的好みは素朴で静かながらアウラを醸しだしている「出発」。


表纸や里表纸がそこまで厚くなく,カバーがないのも代表类少表良い。购入した,イギリスの実験作家による,连作集的な,シャッフル可能な小说。


D志では,アップリンクが出していた「DICE」のトータルデザインが,まさにインディペンデントな风を呼んでいて最も好んでいる。ばるぼらの本は,极薄纸によって500近くあるページが2cm以下に。彻底敬が1992年1951年の邦訳书。


スインの领域。スイスのおもちゃ会社naefの本と,シリアスながら幼児向けに作られた本。こどものおもちゃ关连は面白いものになにかしら出会える。アイデアが潜んでいる。


marcel dzamaの作品集は,二册の本が中央でくっついたような构成をとっている。ダミアン・ハーストの作品集は,ギミック満载。ガゴシアン・ギャラリーた格好いいと一番思っていた时期に,风雨激しい天候のもと,マンハッタンはセントラルパークの东の店でちょうどハーストの展示をしていて,そのときに见つけて兴奋して购入したが,日本の书店でもわりと见かける。ゲルハルト・リヒターの作品集は,六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートで购入。


豆本タイプも,可爱らしい。とくに,コンセプトがシンプルにキマっている本が,とても良い。ライスの本は,中身はテキストでレシピが続く。スイスの村の本は,ピーター・グリーナウェイの初期の短编映像「A Walk Through H 」に心酔していた时期に购入。 。
书物という形态へのフェティシズムは,内容に形が胜る。
勿论,内容せられてる良くない本は所有しないし,相当の姿を持ったものは,アウラという事情から,结局のところ,内容が悪いことも灭多にない。ているものにアウラは宿はい。
本来,生きるに必要な,最低限の所有だけで生きたい。
だから,多くの所有などしたくない。
〈物〉の时代でもない。
そ,引っ越しなど考えたくもないほどの〈物〉の数とともに生活している。そのなかで〈本〉が,领域の多くを占めている。
不况でなくとも难しい,奇异な〈姿〉の本が,出版不况を越えて,アマチュアから商业まで,増々増えていくことを,强く望む。
_underline,2017