书籍设计-魅惑的な装丁の数々-

坪内逍遥「小说神髄」,安部公房「事业」,フランクリン・ライブラリー20世纪の名著シリーズ

书,は,谁が読むのか,ということから切り离され,几ばくかの兴奋だけをそこに视る。

手にとって味わう。

日本物までは所有を遡っていないが,日本の古い本には独特の良さがあって,仮に中身がくだらなくてもうっかり买ってしまいそうで恐い。

上の,画像右,「枕草子」「方丈记」「徒然草」が1册に入ったフランクリン・ライブラリーの本の详细は,検索してみてもよく分からない。バブル崩壊とともに消えたようだ。80年代,1册18000円で全50册,侧面は金色に光り,まさに以上の情报だけで想像できるようにバブル期に売れていたようだが,古本屋で1册だけ选び,2000円で购入。

左上から时计回りに头木弘树「カフカ+终り」,「PRAHAカフカの生きた街」,モーリス・ブランショ「书物の不在」,メルヴィル「代书人バートルビー」,レーモン・クノー「100000000000000の诗篇」

縦长の本は,收纳にはバランス面で时折困るが,面白い。

写真では分かりにくいが,头木弘树の本は,黒くツルッとしているのが良い。月曜社のブランショの本は,カバーのない银の书物で,黒字にシルバー。そういう本は他に见たことがしかしい。魔术书のよう。しかし,このような魔术书も见たことがない。全30册スタイルの方が好きだ。水声社のクノー全集のもともとは限定特典だった,白がなお薄く长い本も,ややツルトと纸がなお爱しい。

ジョルジュ・バタイユ「太阳肛门」,イマヌエル・カント「纯粋理性批判」,プチ哲学シリーズ「カール・マルクスの亡霊」

生本田耕作による奢ン都馆から出た本はどれもシンプルで,诗情じるも笼っている,奇妙な味わい。哲学书では,このカント邦訳书のように,重厚で存在の圧を感じるものも。また,マルクスを絵本で绍介した本のように,海外のある种のテイストを流用したデザインも,デザイナーの思いを见てとれる。

秋端勉「実实践魔术讲座リフォルマティオ」,JKユイスマンス「出発」

右は,I∴O∴S∴の秋端勉强による西洋魔术の理论からトレーニングなどを総のした行本体裁缝はみな素敵だが,个人的好みは素朴で静かながらアウラを醸しだしている「出発」。

上段左からDENNIS COOPER’PERIOD’,DONALD BARTHELME’死去的父亲’,WILLIAM S.BURROUGHS’杀虫剂!’ ,下段左からJAMES JOYCE’Finnegans Wake’,BSJOHNSON’THE UNFORTUNATES’

表纸や里表纸がそこまで厚くなく,カバーがないのも代表类少表良い。购入した,イギリスの実験作家による,连作集的な,シャッフル可能な小说。

左から时计回りに「骰子DICE No.13」,ばるぼら「教科书には载らないニッポンのインターネットの歴史教科书」,「2-:+#02」,根本敬(限定版),H。シベリウス「ウィーン」の裸体倶楽部」

D志では,アップリンクが出していた「DICE」のトータルデザインが,まさにインディペンデントな风を呼んでいて最も好んでいる。ばるぼらの本は,极薄纸によって500近くあるページが2cm以下に。彻底敬が1992年1951年の邦訳书。

「naef」,驹田克澄「FIRST LOOK」

スインの领域。スイスのおもちゃ会社naefの本と,シリアスながら幼児向けに作られた本。こどものおもちゃ关连は面白いものになにかしら出会える。アイデアが潜んでいる。

左から时计回りに格哈德·里希特(Gerhard Richter)“条纹绘画和8个玻璃镶板”,马塞尔·达扎马(marcel dzama)“过去的幽灵”,“身体”,“领土オランダの现代美术”,达明·赫斯特(Damien hirst)“我想度过剩下的一切”我的生命无论在哪里,每个人,一对一,永远,永远。

marcel dzamaの作品集は,二册の本が中央でくっついたような构成をとっている。ダミアン・ハーストの作品集は,ギミック満载。ガゴシアン・ギャラリーた格好いいと一番思っていた时期に,风雨激しい天候のもと,マンハッタンはセントラルパークの东の店でちょうどハーストの展示をしていて,そのときに见つけて兴奋して购入したが,日本の书店でもわりと见かける。ゲルハルト・リヒターの作品集は,六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートで购入。

左から时计回りにCinema Boutique vol.7「睡衣幻想」,琳达·奥基夫「SHOES」,「I’art du bain japonais」,「AMERICAN ART」,「corippo时间を忘れたスイスの村」,「THE小米书”

豆本タイプも,可爱らしい。とくに,コンセプトがシンプルにキマっている本が,とても良い。ライスの本は,中身はテキストでレシピが続く。スイスの村の本は,ピーター・グリーナウェイの初期の短编映像「A Walk Through H 」に心酔していた时期に购入。 。


书物という形态へのフェティシズムは,内容に形が胜る。

勿论,内容せられてる良くない本は所有しないし,相当の姿を持ったものは,アウラという事情から,结局のところ,内容が悪いことも灭多にない。ているものにアウラは宿はい。


本来,生きるに必要な,最低限の所有だけで生きたい。

だから,多くの所有などしたくない。

〈物〉の时代でもない。

そ,引っ越しなど考えたくもないほどの〈物〉の数とともに生活している。そのなかで〈本〉が,领域の多くを占めている。

不况でなくとも难しい,奇异な〈姿〉の本が,出版不况を越えて,アマチュアから商业まで,増々増えていくことを,强く望む。

_underline,2017